どうも皆さんこんばんは!ダンです。
放送局ごとに違いは恐らくあるものの、おおよそは同じだと思うのですが、ラジオというのは以下の4つから構成されます。
- 音楽
- フリートーク
- コーナー
- お知らせ
あ、書いていませんが、CMなど広告はもちろんのことですからね。
『音楽』は、その名の通り、曲です。ラジオ局によってはリスナーさんのリクエストにお答えできる放送局・番組があるかと思います。
『フリートーク』は、パーソナリティ(DJ)が自由気ままにお話をするタイミングです。リスナーさんのメッセージを読んだ感想を言ったり、我々の様なコミュニティ放送局では、(東三河の)情報をお伝えする時間です。
『コーナー』は、その番組内で定期的に実施しているものです。これはさらに放送局にもよると思いますが、パーソナリティ自身がやりたいと思って作るコーナーと、コーナー放送をすることで収益が入ってくる、いわゆる営業的なコーナーがあるかと思います。
そして、『お知らせ』は、番組中に原稿をパーソナリティが読んだり、時には既に収録されたものをオンエアするものです。CMとはまた少し違ったものですが、広告に近いですね。
こんなこと言ったら営業部署の方に大変失礼かもしれませんが、『音楽』と『フリートーク』は、主にパーソナリティや現場主導です。
『コーナー』もパーソナリティ自身がやりたいと思って作るものであれば、基本的には現場主導です。
一方で、他者が作った収益などが発生する『コーナー』、それに、『お知らせ』は主導権はあまり現場にはありません。(読むタイミングや読み方はある程度現場に任せてくれますが。)
そういったところでは、基本的に原稿や進行表などがあります。
また、自身が主導のコーナーでも、ある程度自分で原稿を作成して、その原稿を基に進行をすることがあります。
もちろんラジオ局のみならず、テレビなどの他の媒体も原稿が必要かと思います。
メディアだけでなく、社内プレゼンなどをする際にも、原稿を作る方もいますよね。
ちなみに、『原稿』と聞くと、メモみたいなものかなと思うかもしれませんが、ニュースもスタジオに原稿が届き、それに沿って進めたりします。
大なり小なり『原稿』は多くのものがあります。
そう考えると、ほぼ番組の4分の1から3分の1ぐらいは『原稿』がつきものとなってきます。切っても切り離せない関係、ですね。
前置きが長くなりましたが、今日はその『原稿』についてです。
原稿を読むことは『悪い事』なのか
どうしても、(特に他人が作った)原稿を読むと、フリートークの様な自分の言葉ではない形になってしまいます。
子どもの時の小学生の国語の授業で音読するときになんか機械のようになってしまうのは皆さん一度二度経験したことがあるんじゃないでしょうか。
原稿読みは得手不得手があるかと思います。
子どものときは苦手だからと避けることは極力避けることが出来ましたが、大人になるとそれは避けれない。
しかもこういったメディア業界においては、むしろ原稿を読むことが仕事ですから、避ける=仕事が無くなるわけですよね。。
さて、その原稿。
作る事、読む事を『悪い事』と一蹴するのは少し違うと思います。
先ほど言った通り、その原稿には【収益】が発生しているものがあります。
収益が発生しているものを「やーめっぴ」と言って読まないのはもちろんおかしな話です。
一方で、収益が直接出てこない話を原稿で済ませるのが是か非か。
これは人それぞれの考え方によると思いますが、僕は『是』の立場です。
原稿読みのメリット
そもそも、原稿を作らずに話す人で、時に以下の事象が発生している人がいます。
- 内容が薄っぺらい。
- 同じ話を繰り返してしまう(自分が何を話しているのか分からなくなる)
- 起承転結の構成がおかしくなってしまう
最終的に「あなたは一体何を話しているんだ?」という結論に到達したら、話している方も、聞いている方も時間の無駄になってしまいます。
その為にも、まずは原稿を作って、その原稿に沿って話を展開する方が、まだ理路整然に話せるかと思います。
また、事前に作成しておくことで、事前にバリエーション豊富な語彙力などでプレゼン・読みをすることが出来ます。
あ、原稿を作っても内容が薄っぺらい人がいたり、元々の語彙力の無さが露呈する、というのは今回は論点ではないのでスルーしてください(笑)
原稿読みのデメリット
デメリットはなんといっても、「コイツ原稿読んでるな。」がバレることです。
例えばニュースのように、元から原稿を読んでますっていうものが分かれば良いのですが、コーナーなども原稿を作った際にその原稿の読み方によっては、単刀直入な言葉で言えば『面白くない』です。
特に生放送でのコーナーって「この人次に何を言うんだろう?」という楽しみが無くなってしまいます。
原稿に主導権を握られないように
原稿というのは、基本的には『補助道具』だと思ってください。
主役を原稿に奪われると、それは誰でも読めるモノになってしまいます。
なるべく原稿をもらったら下読み(事前に読んでおくこと)をして、その原稿が何を書いているのかを理解します。
その後、読むときには声に感情をなるべく乗せる。
但し、きちんと状況を確認して。例えば、ニュースに喜怒哀楽を全力で乗せたら、ちょっとおかしいですもんね。
原稿を読むときに気にしてほしい事
原稿を読むのは僕は悪い事ではないと言いましたが、その際に気にしてほしい事があります。
1.ちゃんと事前に読む
原稿は必ず事前に読む事を癖にした方が良いです。それは自分で作成した原稿でも。
特に自分が作成した原稿はその時はヒートアップして作成していますが、少し時間が経過すると「あれ?この表現っておかしいかな?」みたいなことがあります。
また、その時気づかなかった誤字脱字などが発見したりできます。
ブログのように、ずーっと文字が残るものは、偶然過去記事を読み返していて誤字脱字を発見したら編集で直すことが出来ますが、一度口に出したものは戻せません。
また、他人が作成したものなどは、他人の語彙力と自分の語彙力の違いで難読漢字などが出てくる可能性があります。
例えばで、先日、とあるパーソナリティが『筝曲の会』というのが読めず、「お琴の演奏会」と変えて読んでいました。
確かに言っている意味は合っていますが、それが『筝曲の会』というのが、その会の正式名称だったら、違う正式名称を伝えた事になってしまいます。
必ず事前に読んで、「これは『そうきょく』って読むんだ。」と把握したうえで伝えることが大切です。
僕なら「筝曲の会が開催されます。琴の演奏会ですね。」などと言えば、それが優しさです。テレビだったら下にテロップが出るかもしれませんが、ラジオという文字に表せないメディアの魅力でもあります。
2.原稿を置く位置
どうしても机の上に原稿を置いて話をしたがります。
でも机の上に置くという事は、自分の目線は下に下がってしまいます。
先ほども同じ例を挙げましたが、小学生の国語の授業で、先生から「本を目線の高さにもってきて音読するように。」と言われた方もいませんか?僕は言われました。
当時はその意味が分かりませんでしたし、その際に理由をきちんと教えてくれませんでしたが、喉を自分で蓋をしているような事になりませんか?
喉を一本のホースだと思ってください。ホースをペコっと折り曲げたら、水の出力は弱まってしまいます。
つまり、それと同じで、空気を送る力が必要になり、体力も必要になるわけです。
原稿は机の上に置くのではなく、自分の目線の高さ程度に持ち上げて読んだ方が良いかと思います。
3.誤字脱字以外の文言はなるべく原稿に沿って
先ほどの『筝曲』の例もありますが、基本的にはその原稿に沿って読むことが大切です。
でも人間ですから、誤字脱字もあります。
だからこそ事前に読んでおいて、「え?これってそんな読み方するの?」みたいな表現は必ず作成者に確認を取るべきです。『1.ちゃんと事前に読む』と近いですが、作成者の意図を明確に伝えるためにも、なるべく原稿に沿って読みましょう。
特にニュース原稿を勝手に変えるのは、そのニュースソースを乱用したことに繋がってしまいますし。
4.声の高低大小を駆使する
我々の様なFM放送は、小さい音を持ち上げて、大きな音を叩き、なるべく均一に近いような音を送っている媒体なのですが、そんな中でも声を大きくしたり小さくしたりすることが大切です。
大きな声は太い声になるので『大切なんだ』と思うし、小さな声はリスナーの耳を傾けさせるチャンスにもなります。
高低大小を利用することで同じ原稿を読んでいても、どこか原稿を読んでいるとは思えないような形になります。
原稿って奥が深い
ただ原稿作って読めばいいじゃん、ぐらいに考えれば済む話ですが、その中にも奥が深いのが原稿を『作る』・『読む』。
社内プレゼンが迫っている方、恥ずかしがらずに、自分が作った原稿を一度同僚や上司、いや、別部署の方に見せて添削してもらうのもありかもしれませんね。
メディアを目指している皆さん。どこまで原稿をきちんと読めるかが大事です。得手不得手があると思うので、得意な人はさらに伸ばして、苦手な人は少しでも参考になれば幸いです。
といいながら、僕は原稿を読むのが苦手な人なので、ブーメランが刺さっています。
おわりっ!