どうも皆さんこんばんは!ダンです。
地方の、田舎の、小さな小さなコミュニティラジオ放送局ですが、それでもメディアの一端として仕事をしているので、よく上手に話すコツを聞かれます。
もちろん社内の若手と言われる子たちからも聞かれるし、社外の方にも聞かれることがあり、その際には、(時間によりますが)拒むことなく伝えています。
ただ、別に僕自身がそういった話し方の学校を卒業したわけではないので、あくまで『経験談』として話している程度で、それが絶対正義ではないとは毎回予防線のように伝えています。
- 自分で自分を評価する
- 自分で自分の声を聴くのはこっ恥ずかしい
- 自分の声が違う声に聞こえるのは必然
- 他者の評価も大事だが、自身の評価を忘れない
- 自分の喋りを振り返る時に大切なことは「褒める」ことも忘れない
- 喋りって奥が深い
自分で自分を評価する
もちろん他者から見て、色々なところを指摘されることは大切だと思います。
が、一方で、『自分で自分の事を振り返る』事が大切です。
特に我々のような放送業界は、テレビであれ、ラジオであれ、『喋り』でお金を頂いているわけですから、他者からの評価も大切な一方で、自分で自分を評価することも大切です。
つい前の文章で、『放送業界は』と言いましたが、これは別の業種の方も当てはまる事です。
例えば、営業の皆さんは取引先の会社に行って、自身の商品をプレゼンしないといけません。時には、会議で発表をする必要があるかもしれません。
電話応対する方も、無言でやり取りはできませんから、必ず『喋る』必要があります。
つまり、喋るという行為は人間が生きていく上では大切なわけです。
自分で自分の声を聴くのはこっ恥ずかしい
自分で自分の声を聴くのってめちゃくちゃ恥ずかしくないですか。
声質が違う(理由は後述)のはもちろん、テンパっていて何を話しているのか分かんなくなっているし、あの時の恥ずかしさが脳内で再生されちゃうし。
僕も5年間、電波に乗せて話をしているのに、未だに自分で自分の放送を振り返るのは恥ずかしいです。
でもその恥ずかしさを乗り越えないと、一皮むけないんだと思って、顔を真っ赤にしながら自分の放送を振り返る事があります。
聞いていると思うのは、自分の今日の放送は失敗したなぁ、と思って聞き直すと「あれ?思ったよりまとまってる。」と評価できるときもあれば、今日の放送は上手にまとまった気がする!と思って聞き直すと「あれ…?あれれ…?」みたいな時があったりとか。
こうやって自分で自分を評価することが大切です。
自分の声が違う声に聞こえるのは必然
自分が喋っている声と、他者に聞こえている声や録音した声が違うというのはよくある事です。
詳しくは音に関する専門のページが出来ているのでそちらを参照してください。
つまりは、骨による伝わりが他者と自分では違うから、という事なんです。
イケてるボイス、略してイケボが聞こえるのも、本人からしたら違う声が出ているのかもしれませんね。
他者の評価も大事だが、自身の評価を忘れない
録音する環境、という事は他者に何かを『伝える』場面が多いはずです。
我々のようなラジオで働く人もそうですが、それ以外にも営業、電話、これも該当するかと思います。
『伝える』という事は他者が理解すれば良い、というわけですよね。
そう考えると、自身の評価なんかいらないんじゃないかと思ってしまうかもしれません。
でも、シンプルに考えてみてください。自分が理解していない事が他人に理解ができるでしょうか。
今はYouTubeなどで、アップロードしたものがずーっとその場所に留まる事が多くなりました。
僕はアップロードした動画を、一晩寝かせて、一度自分で自分を客観的に見ることもアリじゃないかなぁ、と思います。(急いでいたら話は別ですが。)
自分の喋りを振り返る時に大切なことは「褒める」ことも忘れない
他者からもらうアドバイスに、あまり褒められることがありません。
もし褒められたとしても「いい声だね」とか「聞きやすいね」とか言われることはあるかもしれませんが、それは抽象的です。
例え褒められたとしても、「でも~」とか「う~ん」とか、その後に続く言葉にポジティブな言葉が続くことあまりありません。
だからこそ、自分で自分の喋りを聞き直して、「あの表現、上手にできたな。」とか「あのフレーズ、よく思いついたなぁ。」とか、声質だけでなく、表現の方法・喋るトーン、スピードなどを聞いてみると良いかと思います。
自分で自分をディスってばかりなのは、自分で自分の評価を下げてしまいます。
自分の声を愛してあげてください。自分の喋りを褒めてあげてください。
自己承認欲求を自分で上げてしまえばいいんです。
え、ナルシストかよ!とかツッコミ入れないでください。それでいいんです。
その時はあまりに褒めてばかりだと成長しないので、適度に反省も知れましょうね。
喋りって奥が深い
ありがたいことに5年間パーソナリティという仕事をしています。
桃栗三年柿八年と言われていて、まずは三年頑張ろうと思って頑張ってきました。
三年ぐらいしゃべっていたら、後輩たちが徐々に入ってきて、自分が教える側に回るようになりました。
自分のアドバイスが正解・正義ではないのは重々分かっているのですが、やっぱり正解を求めに行きたいんですよね。
奥が深いのが、この仕事の良い所だなと思っています。きっと退職するまでその答えは分からないんだろうなぁ。
今日はちょっと話をしてみたくて書き殴ってみました。
電気屋さんのボイスレコーダー、ちょっと見てみてはいかがでしょうか?
おわりっ!