どうも皆さんこんばんは!ダンです。
このブログはあまり自分の仕事、特に自分が喋った内容と連動していない事ばかりなのですが、珍しく今日は放送と連動してみようかと。
いきなり少し話が逸れるけど、たまにラジオに「ブログ記事読みました。」とかいうメッセージが届くと嬉しいので、やっぱりもっと連動させるべきなのかなと考えることもしばしば。
いや、考えるなら実行に移しましょうよって話よね。わかるわかる←
さて、今日の自身の放送の中でお届けしている『歴史訪暖』のコーナーでは、豊橋公園の中にある、吉田城址の石垣と堀についてを学芸員の方と共にお届けしました。
実際に豊橋公園で学芸員の方に同伴頂いて、じっくりがっつり話を聞いたわけでして。
もちろんラジオなので、映像が無かったわけですが、その分、写真を撮って来たでござる!*1
豊橋公園内吉田城址
豊橋には400の公園があるわけですけど、その中に『豊橋公園』と銘打っているわけですから。僕は吉田城公園に名前を変えるべきだと言いたい。(個人的意見)
豊橋公園のおおよそ北西部にあるのが鉄櫓。
鉄の櫓と書いて、読み方は『くろがねやぐら』。初見殺しでしょ、コレ。
吉田大橋からもこの鉄櫓が見えるので、「あれが吉田城かー。」と思った方もいるのではないでしょうか。
一応いろんな説があって、あの場所が本丸だったのではないか、という説とか諸説ありですから。
でも僕はあれは櫓の一つじゃないかと思っております、ハイ。
鉄櫓は見学可能
鉄櫓は中に入れます。開館時間があるので、ご注意を。
鉄櫓の中は、パネルや写真が展示してあるので、勉強になるよ!
屋上には吉田城主だった池田輝政の顔ハメパネルがあるので、顔ハメパネルファンの方は必見だね!
吉田城鉄櫓の外に草が生えてるのは草。
草の生存能力はすごいよね。そこに生えるの!?みたいな。
吉田城の石垣
吉田城と言えば、あんな"ド"市街地にこれだけの石垣が残っている事が誇り。
吉田城の北側、今橋遊歩道付近から鉄櫓方向を見上げると、これだけの石垣が残ってるわけですから。
すごいね、これが重機使わずに積み上げているわけですから。(一部修復しているとはいえ。)
昨年、石垣が崩落した
吉田城址は、昨年、長雨による影響等もあり、石垣が崩落するという大事件。
今は崩落箇所周辺は、写真の通り立ち入り禁止区域となってまして。
今日の収録でも学芸員の方から「来年度は修復かな…」という発言もあり、一日も早い修復を期待。
一方で、今年度修復が完了した石垣も
先ほどは崩落した石垣の写真を添付したけども、今年度計画的に修復した石垣も。
鉄櫓の対角線上にある石垣。この石垣が今年度修復したもの。
一度上の石の8割~9割ぐらいを取り除いたとは思えない復旧具合。
これを観に行くだけでも価値ありだと思う。やっぱり石工さんすごいなぁ。
個人的石垣映えスポット
今回の収録では赴かなかった場所だけども、個人的には吉田城を西側(豊城中学校側)から見た石垣が圧巻。
名古屋城等の石垣も良いけど、吉田城の石垣だってすごいんだぞ!
もはや壁のようになっているこの石垣をぜひ生で見てほしい。
木々が少し生い茂っているので、その辺りは今後に期待、という事で。
石垣だけじゃない!堀も見て!
吉田城と言えば石垣がすごいイメージがある一方で、今回のコーナーでは、堀についての紹介も放送。
まずは本丸御殿址・本丸跡を覆うようにあるのが、箱堀(はこぼり)というもの。
この堀。写真だと分かりづらいかもしれないけど、めちゃくちゃ高低差ある。
ちなみに学芸員の方曰く、この時期(春頃)が一番見ごろ。
もう少し暖かくなると草木が生い茂るようになってしまうので、との事です。
この箱堀とは別に、薬研堀(やげんぼり)というものがある。
薬研という、江戸時代なんかに薬をゴリゴリするモノ(気になった方は検索検索ゥ♪)のようにV字型になっているので、薬研堀という名前がついているそう。
この薬研堀(だろうと思われる)が豊橋公園の中にあるわけでして。
まさかの太陽光で見づらくなってしまったでござる(笑)
ホント写真センス無いwww辛いwww
さっきの堀(箱堀)よりも底が浅くてちょっと急な感じじゃないですか?
これが豊橋公園に残っているわけで。
場所は難しいので三の丸会館の下、という事で伝えておきます。
もう少しで桜のシーズン。
豊橋公園は『はるまつり(さくら)』もあるので、ぜひ!
ちょっと余談
「これはね、明治時代に組んだ石垣ですね。」
というので、理由を聞いたところ「ドリルの跡があります」という。
それも探してみてね!見事にドリル跡だよね、言われてみれば(笑)
おわりっ!
*1:2022.03.08.並びに2022.03.10.撮影 一部写真は少しサイズを圧縮しています。