みゅひゃぁ

100点という完璧を目指す『甲』の人生よりも、60点~80点の心身ともに少しゆとりのある『乙』の人生を目指したい。

僕の好きだった高橋由伸選手の思い出

どうも皆さんこんばんは!ダンです。

 

この内容は、以前運営していたブログでも書いたもので、今回、ブログを変えてでもやはり書きたい内容だったので、改めて書いてみたいと思います。

もし万が一、本当に万が一、「あれ?この内容、読んだことあるわ。」って思った方がいらっしゃったら、ぜひ前のブログを読んでくれていたという事にしてください。

 

 

唐突ですが、僕はプロ野球観戦がすごい好きです。

 

そのきっかけは、生まれた時からプロ野球ナイター中継があって、その当時は、その中継は延長が当たり前のようにあって…。

地元の中日ドラゴンズが主催する試合と、全国放送している読売巨人軍の試合が普通に2ch放送されていたり。

どちらかがCMになると、もう片方の試合に切り替わる、みたいな夜のテレビ生活でした。

延長という概念はもうどこへやらですね。

 

中日ドラゴンズファンの自分なので、やはりジャイアンツ憎しという精神は親、いや、祖父の代からずーっと洗脳のようにされてきている身ですが、僕なりの反抗期で巨人ファンになった事もあります。なんだその反抗期(笑)

 

そんな○○ファンと言われる前の事ですから、これは僕が小学校低学年~中学年の時。

多分人生で2回目か3回目の野球観戦、家族で行ったと思います(ここの記憶は曖昧)。

でもその時は、中日ファンの親父にも拘わらず、なぜか三塁側内野席に座った記憶があって…。

 

試合は巨人戦でした。黒を基調としたの帽子やユニフォームが巨人、青を基調とした帽子やユニフォームが中日ぐらいの判別だったかと。

そんな僕でも、試合前に入場すると、巨人の選手が練習を行っていて、小学生ながら「すげー!」「すげー!」「すげー!」と思ったのはいい思い出です。

その練習中に、(主に子どもが)グランドと座席を仕切るネットの前に群がっているのが見えました。

同世代ぐらいが集まっているので、野次馬根性でしょうね、近づくと、そこには巨人の選手がストレッチをしている光景が広がっているではありませんか。

 

今思うと、試合前のストレッチで、今から集中していかないといけないわけですが、そんなのお構いなしですよ。

数メートル先にいる巨人の選手に声をかける子ども。

ちなみに僕は引っ込み思案だったので、そういう時に声を掛けれない人です(笑)

 

「おーい!○○ー!」

とか

「○○ー!サインちょうだーい!」

 

とか叫んでるわけです。

もう一回言います。今思うと、試合前ですから、すっごい困ったもんですよね。

 

とか思ってたら、近づいてくる選手。子どもながらに精悍な顔つきの人が近づいてくるなぁというのは今でも覚えています。

その選手は、今も覚えている、背番号24番高橋由伸選手でした。

 

カルビー2008 プロ野球チップス トッププレーヤーカード No.TP-02 高橋由伸

 

その高橋選手に対し、子どもは容赦ないですよね。まぁ分かる。

 

「よしのぶー!サイン!サイン!」

「よしのぶー!」

 

とか言って、様々なものをおねだりしている子どもの方に近づく高橋選手。

さすがに引っ込み思案だった僕も「何かあるかも!?」と期待して近づくわけですよ。

するとおもむろに自分が付けていた手袋を取って、ネットフェンスの網の間から観客側に入れた高橋選手。

えーすごい!とか思ったんですけどね、その時に高橋選手がネット越しに言った言葉がとても印象的でした。

 

「このバッティンググローブあげるけど、君たちより年上の人なんだから、呼び捨てはやめような。」

 

バッティンググローブって、こういうやつ(↓)です。

 

ゼット(ZETT) 野球 バッティンググローブ インパクトゼット 両手用 ホワイト/シルバー(1113) Mサイズ BG919

 

大人になった今だから分かりますが、これってすごい正しい事ですよね。

いくらファンあってのプロ野球選手とは言え、子どもからしたら大人ですもんね。

 

それ以来、僕は年上の選手はなるべく『○○選手』と呼ぶようにしています。

段々と年上の選手がいなくなってきていますが…笑

 

ちなみに、それ以来ずっとこころがけるようにしています。

だから中学の時などに、「なんで○○のこと選手つけるん?」って友達に言われたことがあります。

この経緯を話した事は巨人ファンの友達1人に話したことがありますが、そいつも「へぇー…。」ぐらいのリアクションでした。ぐぬぬ

 

ちなみに、その子は、手袋をもらった事が嬉しくて飛び跳ねていた気がしますが、同時に高橋選手の発言に「分かりました!」ってすごい大きな声で返事をしていたのを覚えています。

その子がその後、呼び捨てにしていなかったかは分かりませんが…(笑)

 

 

ちなみにこの話を高橋選手が覚えているのかは分かりません。

僕の曖昧な記憶を正そうにも、出会う機会もないですし…(;'∀')

多分覚えていないだろうなぁ。もし万が一、何かの拍子で会う機会があれば、この話を覚えているのか聞いてみたいです。

 

でも、それ以来僕は高橋由伸選手のファンでした。

中日ファンですが、高橋由伸ファンでもありました。

 

彼が現役を引退して巨人の監督に就任することになった時、ちょっと複雑だったのを覚えています。

彼ならもう少しできたんじゃないかとか思いますが、それはもしもの話ですもんね。

そして彼が監督を退任することとなった際にも、また複雑な気持ちになりました。

もう一度彼が読売巨人軍のユニフォームを着ることになってほしいと、個人的に願っています。

 

高橋由伸 現役引退・監督就任記念―天才の記憶と栄光― [DVD]

 

上手くまとまってる?この文章(-_-;)

会いたい人ランキング上位に入るのは、高橋由伸選手です。(当時から選手と呼んでいたので、つい引退しても高橋由伸選手と言ってしまいます。)

 

おわりっ!